神戸を訪ねて  95’夏


 その2 須磨駅〜長田地区

 徒歩で移動

JR須磨駅下車⇒山陽電鉄須磨駅⇒(国道沿い)⇒ASA須磨販売所⇒阪神高速⇒須磨区役所⇒下中島公園

 須磨駅で降り、とにかく歩いてみることにした。国道に出て、道なりに歩く。
 国道から少しはずれただけで、建築中の家。空き地が目立つ。取り壊し中の家もある。当時のまま壊れている家 の多くは、外壁だけはがれているのが多い。途中の神社では、社殿が屋根にそっくり押しつぶされているのもある。 (生田神社ではない)
 地震でつぶれた販売所は、プレハブで再建されていた。あまりに暑いので、近くのコンビニで休息。

   一息いれた後、阪神高速の倒壊現場へと到着。近くの中層マンションは建て直し中だった。その中で、真新しい 阪神高速があった。もう、完成しているのかと思いきや、所々橋げたがつながっていない。当分、先のようである。
 須磨区役所の近くには、体育館、下中島公園があり、たくさんのテントがはられていた。

(後にわかったことだが、屋外のテントに住んでいる人はほとんどおらず、たいていの人が公民館等で暮らしていたとのこと。 現在では、形式上避難所は廃止されてしまったが、どうなっているのだろう。不安である。)


徒歩で移動

JR鷹取工場⇒JR鷹取寮⇒長田地区⇒JR長田駅

 鷹取工場沿いの国道は、たくさんの車で混雑していた。特にトラック等の大型車両が非常に多い。阪神高速の影響だろう。
 右に曲がって、線路沿いを歩こうとすると、真新しい建物が現れた。「これも新築か」と思い近づくと、そこに二階部分が つぶれかかったマンション級の建物だった。「JR鷹取寮」とかかれたその建物は、自分が今まで持っていた”新築は地震があっても 被害が少なくて住む”という概念を、もののみごとにぶち壊してくれた。
 もはや、地震には何の考え方も通用しない。そのことを痛いほど実感した。

 しかし、まだ甘かった。長田地区に入ると、震災前のままの建物なんて、何一つ残っていなかった。残っていたとしても、もはや使えないも同然。 焼けたままのマンションなど、まるで戦争後の焼け跡のよう。TVで見るのと、実際に見るとでは、全く違う。

 けれども、うれしいことに、プレハブでたくさんの工場が再建されていた。それだけではない。被害が大きいということは、それだけ復旧工事も大掛かりなもの となる。そこで、働く労働者達に食べ物を提供する定食屋が多く、繁盛していた。
 そこには、決して他では見られない、何か違うある種の異様な活気があった。みんな、過去になんかあったとは思えないほど、生き生き とした表情をしていた。
 そんなことを感じながら、焼け跡にある仮駅舎の新長田駅へと向かった。


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