第1回 時間が止まる瞬間


−ボールの魔法ー

サッカーの試合を生で見ていると、不思議な空間に入り込むことがある。それは、サッカー
のフィールドを共有している全ての人々が、凍りついたように動きが止まってしまうことだ。
そして、わずか数分の1秒という時間が、何十分と長く感じられる。何度味わっても表現しよ
うのない、不可解な空間が存在することがある。

普段、サッカーの試合では、息を飲むような緊迫した展開の中で、信じられないようなパスに
に歓声をあげ、誰もがだまされるようなトリックに驚嘆し、絶対絶命のピンチに悲鳴がひびきわたり
そして待ちに待ったゴールで喜びを爆発させる。 すなわち、サッカーは一時的な感情の爆発により
人々を魅了しているのである。


しかし、これらとは対照的な現象として、観客の視線、そしてフィールドの選手自身までもが
まるで魔物にでも魅入られたように、呆然としてただただボールの行方を追ってしまうことがある。

これが、「時間が止まる瞬間」である。

この現象は、ボールがゆっくりとした放物線を描いて、まさにゴールに入らんとする時に発生する。
いわゆる、「ループシュート」の時だ。

思い出して欲しい。あの「ドーハの悲劇」、ロスタイムのイラクのゴールを。日本の選手、いや国民全て
が、ただ呆然とボールを見送る以外なかった。
わずか数分の一秒の空白が、日本を地獄のどん底にたたき落とした。この光景は、見ていた者の頭から
一生離れられない記憶として、脳裏に深く焼き付けられた。

そして98仏W杯アジア最終予選の日韓戦、山口のループ。日韓両国の壮絶な死闘の最中、誰もが「強いシュート」
を打つ、と思い込んだ瞬間、ボールは美しい孤を描きながら韓国のゴールへふわりと落ちていった。
そして、絶叫、興奮のるつぼと化したサポーターの間で、国立競技場は揺れた、、。



-アンバランスさの極地ー
なぜ、「ループシュート」はこんな不思議な現象を生むのだろうか?私は、「アンバランス」さに
その答えがあると思う。

「ゴール」は、まさしく相手チームにとっては「死」を意味する。放たれた矢が、この世のいかなる
存在にも干渉されず、「ゴール」に向かっていく。人々は、試合の重要な要素である「得点」を見逃すまいと
わき目もふらずボールの行方を注視する。虚をつかれたキーパーは、必死になって「自分の城」を守ろうとするが、
もはやどうしようもない。「生死」を決めるのは、ゴールの存在に必要不可欠な「枠組」、すなわち「バー」と
「ポスト」という、か弱い物体にすべてがかかってくる。

ボールが無事「枠組」内を通過すれば、人々は緊張した静寂状態から一転して喜びを爆発させる。これぞまさしく
反動の現象である。サポーターは、得点者の創造性、技術の高さをたたえ、ボールの軌道の美しさを我先にとばかり
表現しあう。そして彼らは最後に必ず一言加える。
「俺は、そのゴールをこの目で見たんだ!」

ボールが「枠組」から外れれば、守備側の人々は大きく安堵のため息を、攻撃側は頭を抱え、嘆く。そして共に
「運が、、、」とつぶやく。ボールは「人間の意志」で動いているのに、なぜかこの場面になると、皆「神の領域」
を口にする。

サッカーは、時に理論では説明できない、多くの矛盾をもったスポーツでもある。
この「時が止まる瞬間」も、また然り。だからサッカーは、わからない。


このページは GeoCitiesです 無料ホームページをどうぞ